言わせないでよ、

ポップでガーリーなわたしの天使、わたしの女神。ミス大丈夫への愛を。

要約するとYUKIってすごいんだぜっていう話

 YUKIのことがずっとなんとなく好きだけれど、彼女の魅力について考えていたら、朝も夜も頭から離れなくなった。そこにはじっくり研究したくなるようなひらめきがあったので、勢いのまま書き残しておこうと思う。

まずYUKIの魅力におぼれるきっかけとして、彼女がポップでガーリーな天使であるということから語り始めたいし、彼女がとどまることなくいつまでも進化をし続けていることも、いや、それよりも前にまずはジュディマリからふれておきたい気もするし、いったいどこから辿っていけばいいかわからないけれど、今回ひらめいたのは、彼女の唯一無二の言語感覚、光るワードセンスのことであるから、そのことに焦点を当てて話をしてみる。

ソロワークとしてのYUKIに多くの人がふれるきっかけとなった曲はおそらく、「JOY」か、「ハローグッバイ」か、「ドラマチック」か、「メランコリニスタ」か、そのあたりではないだろうか。これらの曲に欠かせないのはヒットメーカー、蔦屋好位置氏(もちろんYUKIディスコグラフィーをみれば彼のみの力ではないのは明白だが、豪華な作曲家陣の代表として)。YUKIのかわいらしい声をぱっときらめかせる、一度聴いたら耳を離れないような独特のポップなメロディ。そして、何よりも、その旋律にのる歌詞なのだ。

ここで歌詞を語るにあたって重要なのは、YUKIが「ハナモゲラ」で仮歌をいれているということ。これはYUKIが出演した数年前のNHK SONGSの中で知ったことなのだが、彼女は楽曲の仮歌をハナモゲラ語で、つまり、適当な英語風の言葉で歌うらしい。そしてその仮歌からなんとなく聴こえてくる言葉を拾いながら、歌詞にしていくと言っていた。(可能ならばぜひ、SONGSでさらっと実演していた、ハナモゲラで歌いながら言葉を拾っていく様を観てほしい。) そのことを思い出して、腑に落ちた。これだ!これなのだ!彼女の、唯一無二の言語感覚。光るワードセンス。勿論すべての歌詞をその作詞方法によって書いていると明言していたわけではないので、憶測も含むけれど、これこそ、この作詞方法こそが、YUKIの歌詞の魅力を形作っているんだ!としっくりきたのだ。

ハナモゲラのいいところは、まず最初から音に乗せて適当に歌った言葉から意味のある言葉を拾っていくから、音と言葉が乖離しないことではないだろうか。詞を先に、曲を後につけるとしたら、詞に合ったメロディは生まれても、少なからず詞に合わせることができる音に制約が生まれる。その反対に、曲を先に、詞をあとにつけるとすれば、音数に合わせて選ぶことのできる言葉に制約が出てくる。ハナモゲラ方式は、後者の制約がある中でも、歌った適当な言葉から詞を選びだすことで、理想的な形で、ギャップを最小限に抑えて、ぴったりはまる言葉を見つけることができる。メロディをそのまま、生かしたまま離れすぎることなく、言葉を乗せることができる。そして音数に制限があるからこそ、思うまま自由に話すことができないから、予想もできないびっくりするような言葉との出会いがある。

わたしが流行に乗ってYUKIのWaveやjoyといったアルバムを聴いていた中学生、高校生時代の当時は、特に理由もわからないまま、彼女の独特の言葉選びに惹かれていた。何が独特かというと、ぶっとんでいるのだ。その言葉の並びはどうやって思いつくんだろう?という驚きの連続なのだ。そして、それらの言葉は全て単純で、決して難しいわけではない。特にあの大ヒットソングJOYなんかはその単純さが顕著で、「しゃくしゃく余裕で暮らしたい」「約束だって守りたい」と、こんな調子。

私はYUKIのワードセンスから得られる印象として、第一にぶっとんでいて(普通の人にはとても簡単には思いつけないという意味)、ポップでシンプルで(これら2つは大前提)、そして以下の3要素①おしゃれで、②かわいくて、③ダサい、があると思っている。もちろん、この場合のダサいは、いい意味でダサい、絶妙にダサい。この、おしゃ、かわ、ダサの3要素が乙女のハートにずきゅーんとくるのだ。「ハローグッバイ」なんかまさにそう。これはソフトに且つストレートにおしゃかわ。「夕方 金星の色 スタンバってどっちを選んでみよう」の歌いだしだけで、あまりのかわいさにあっけなくやられてしまう。YUKIのヒットソングの中でも、「メランコリニスタ」のおしゃかわダサっぷりはもう最強だ。これぞYUKI節といえるだろう。YUKIの歌詞っていったいどんな特徴があるの?なんて初めてYUKIにふれる人がいるならば、まず「メランコリニスタ」から勧めてみようかな、と思い立ったとしても、いやそれだとちょっとハードルが高すぎるかしら、と躊躇してしまいそうなくらいのYUKI節。だって、フランチェッベニスタって何よ。3要素の中でスパイス的に重要な「ダサさ」にふれるならば、それは多くの楽曲において多用される、時に意味を持たないこともあるカタカナ語のことであり、そしてふいに登場してしまう重めな熟語のことであり、ほら、「千客万来」や「千辛万苦」をかわいく歌えちゃうのはあなたくらいよ、と言いたい。

これほどぶっとんだ言葉選びをしておきながら、不思議なことにYUKIの歌詞には、ストーリーがしっかりと存在している。意味の分からない言葉の羅列ではなく、ただかわいいだけではなく、彼女の歌詞にはストーリーがあり、強烈なパワーがある。特にmegaphonicは漲るパワーがぶわっと溢れ出して破裂してしまうんじゃないかというくらい、パワフルな楽曲が詰まっている。私は受験生の時にmegaphonicをヘビーローテーションしていた思い出もあって、「鳴いてる怪獣」が大好きだ。「どんなにブルーでも波に乗って 風も光も味方にして」なんて、彼女の光るワードセンスで選ばれた言葉たちが、きらきらのポップなメロディに乗って、力強くパワーを放つ、これぞYUKIの歌の力よ、と言わんばかりのフレーズ。

そして新譜「まばたき」を聴いて、そのストーリー性がどんどん説得力を増してきたように思うのだ。その印象は、このアルバムの中のシングル曲、「さよならバイスタンダー」からきているのかもしれない。YUKIはこの曲について、「傍観者との別れ」、「いつも自分が当事者でいたい」というようなことを語っていた。まさにその通りと言うべきか、「まばたき」の楽曲はどれも、主張が激しい。偶然にも必然にも選ばれた言葉たちがストーリー性を持って、パワーを持って、今や激しく主張をしてくるのだから、もうこれはとんでもないことになっている。「まばたき」はまず一曲目から「暴れたがっている」んだから。

「まばたき」の中のストーリーとして一つふれておきたいのは、「こんにちはニューワールド」。「試してみるって約束だべ? せばなんでもできると思ってるっしょ」と彼女が故郷を思わせる方言を使っちゃってるのがまず、ズルい。「雪の降らないクリスマスにも 少しは慣れたし」のフレーズから、YUKIが故郷を離れて上京した時のことを歌っているのかな、と気付かされるが、わたしがどうにも泣けてきてしまうのはそのフレーズではなく、「大きな声で歌う度 壁を蹴られたし」の部分だ。彼女が若い頃、上京したての頃を思い返して浮かんでくる場面として、きっとそれは小さな部屋で、大好きな歌を大きな声で歌って、壁を蹴られたことがあったんだろうな、とそのシーンを想像してしまって、そしてその些細な場面がデビューして、ソロになって15年経つ今も、心に残る何気なくとも印象的な過去であること思うと、胸に刺さって涙腺を刺激してくる。まるでその場面が、自分の中のどこかにも存在する過去のような。

 ああ、わたしはcommuneのネイキッドでナチュラルな空気感も大好きだ。うれしくって抱きあうよのメロウでどっぷり落ち着いた色っぽさも、FLYのセクシーなダンスナンバーも、全部全部。あげはじめたらキリがなくて、もう収拾がつかない。カメレオンのように楽曲にあわせて、アルバムにあわせて、姿を変えながらも、首尾一貫これまでもこれからもいつまでも、YUKIYUKIであり続けるから、わたしは目が離せなくて、愛おしくてたまらないのだ。